自分の経験・記憶はどこまで信用できるのか

雑談
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こんにちは、rinnshannです。

10月に入ってから気温の低下が著しく、朝晩は寒いと感じるようになってきましたね。寒くなると体が固まってきて、身体を動かしにくくなるのですが、今年はジムに通うことで対策としたいと思っています。

ただ、寒くなるのは悪いことばかりではなく、脳にとっては熱くなるよりも冷える方が良いということでPCと同じです。これからの時期は、脳にとっては過ごしやすい時期に入るのかもしれません。

何事も信用しすぎない。

さて、オオカミ少年のイラスト私が100%で信用しているのは、自分の経験と記憶だけです。

それ以外は常に50%:50%だと思っています。信用できる情報かもしれませんし、実は間違えているかもしれません。間違えていたことが分かってしまったことにちょっとガックシ来てしまうことが嫌なのです。

よく他人に期待をしないとイライラしないと言われますが、期待をしない、信用をし過ぎないということで、そうしていると自分の気持ちがぶれることなく、コントロールできる気がしています。

自分の経験と記憶

私もこれまで30余年生きてきたわけですが、それだけの期間の中で経験をして、その経験を元に記憶に残っているものがあります。記憶に残っているものは、私の中で自身を持っているのですが、私以外にとっては全く関係のない話です。私の言っていることは信用できるよ!とは全く思いません。

恐れているのは…。

自分の経験と記憶しか100%信用することができない私が今恐れているのは、「認知症」です。自分が自分としてわかっていない状況なので、周りからすれば何を言ったとしても全く聞き耳を持たないということになっていくのかもしれませんね。

信用するのは常に50%

誰かからの情報はもちろん、自分ではない他人も50%しか信用していません。というより、50%信用していないです。これは自分の家族であっても例外ではありません。そして、自分の家族には私のことを100%信用しないでくれということを常に伝えています。

自分にとって信用できるのは、自分の経験と記憶ということになりますが、それは他人にとっての信用できるかどうかは別の話。自分が正しいと思っていたとしても、間違えている可能性はゼロとは限りませんし、時間が経ってから間違えていることが判明することもあります。

自分ではない他人に情報を伝えるときは、しっかりとその情報について調べて確証を得たものでなければ何となく怖く感じます。というより、皆さんは怖くないですか?自分が伝えたことが間違えていたとして、何もなければまだ良いですが、もし何か被害が出てしまうと万が一責任問題につながってしまうかもしれません。---というつもりで、自分の発言に責任をもっていただければと思うのですが…。

気にしすぎといえばそうかもしれませんが、私も無用なトラブルに巻き込まれたくありません。雑談や世間話ならともかくとして、相手にアルコールが入っている状態であればまだ…。

手軽に情報を得られて誰でも簡単に情報発信ができるようになった近年ですが、SNSで情報発信をしている方や、コメント・返信をしている方は、先のことを何も考えずに良くない返信をしているのを見ると、非常に残念に思います。(そもそも見なければ良いのですが、見えてしまうのが…。)

以上です、引き続きよろしくお願いいたします。

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