こんにちは、rinnshannです。
※本記事には一部フィクションを含んでいます。ご了承ください。
久々に北陸の地へ帰還した…。北陸新幹線に揺られ、その先の在来線を乗り継いで実家へ…。
いつでも、その時は突然やってくる…。
2月後半のある土曜日の夕方近くのこと。いつものようにブログ記事を作成していると、母からの突然の連絡、それは昨年の夏を思い出させる…。(昨年夏の件は以下の記事にて…。)
内容は、入院していた祖父が危篤状態とのこと。急いで戻る準備をして、新幹線の予約をする。新幹線の停車駅が近づくときと発射直後に流れる車内チャイム「北陸ロマン」もいつもと違う余韻を残させる。新幹線は1両に10人いない程度でガラガラだった。あぁ、そうだ。土曜日だが、車内で上司に事情を連絡しておかないと。おそらく、何日か休みを取っておかないと。
そうして、実家に到着したのは21時を大きく過ぎたところ。ひとまず、状態が落ち着いたということで、母も病院から戻ってきていた。面会時間もあるので、次の日の朝になってから病院に向かうこととなった。それでも、いつどうなってもおかしくないという状況は続いている。連絡は、母のスマートフォンに連絡が来るということで、その日は就寝することになった。
夜が明けても、病院から特に連絡もなかったので、準備をしてとりあえず10時頃に病院へ向かった。事情を説明して病室へ向かう。4人部屋の一角のベッドに伏している祖父は、私の記憶に残る祖父の姿とは全くかけ離れたものであった。酸素吸入が行われ、少し苦しそうに呼吸をする。もちろん意識はない。(COVID-19によるものではない)肺炎を起こしているということで、時々痰の吸引が行われているようだ。素人の私から見ても、長くはなさそうだと感じるには十分な状況だった。
その頃は、COVID-19の陽性判定が急増して、病院としても忙しなく動き続けている状況で、状況を見ながら祖父を担当してくれている看護師を待つ。状況を一通り聞くと、いつどうなってもおかしくない状況は続いているようで、このまま様子を見ていくしかないとのこと。状況はあまり芳しくなく、今日明日かもしれないし、来週になるかもしれないとのこと。面会時間は15分ということになっているようなので、15分ギリギリまで病室にいて、その後は実家に戻ることになった。
認知症発覚と
記憶を少し前に戻してみる。
COVID-19もあって、帰省することも憚かれ、祖父と最後に言葉を交わしたのは、2020年の10月だった。当時、祖父の認知症が発覚したところで、まだ若干私の記憶が残っていて少し会話をすることができていた。新しい記憶から消えていくと言われる認知症だが、これもいつまで残っているか…。そう思いながら現在に至る。記憶どころか、たった1年半でこれほど悪くなってしまうものか。
北陸で生まれ育ち、大学生で関西に行き、社会人になってから、東京に拠点を移した私にとって、段々と実家に帰ることも少なくなって、COVID-19に関わらず年に一度程度になった。時々LINEで届く、母からのメッセージでやり取りで状況を知る程度であった。
その時が来るまで少しの時間、日常に戻す…。
それから、数日して状況に変化はなく、比較的落ち着いたということで、いつまでも仕事休むわけにはいかない私は、東京へ戻ることになった。2月の後半で、ようやく冬も終わりかと思っていたが、戻る日の朝は、寒波の影響で雪が一晩でかなり積もった。久々に雪かきをして出発する。
近いうちに呼ばれるだろうと思ながら、元の日常にまで無理矢理戻していく。その時が来るまで…。
(②へ続く…。②については、近日中に公開します。)
以上です、引き続きよろしくお願いいたします。


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