ブログ記事の30秒要約
2025年の出生数過去最低というニュース。社会の対策はあるが、個人的には子供を持つモチベーションが「1ミリもない」。
理由は、少しの資産を持っているからこそ大きい、金銭的リスク(パートナー・親族・子供という「自分以外」の存在)と、現代特有の社会的リスク(「すべて親の責任」という重さと、SNSでの即時拡散による破壊力)だ。
さらに、大人の快適さを優先する社会環境において、常に「迷惑」をかけるプレッシャーを感じる。これらのリスクを冷徹に天秤にかけた結果、私の人生設計として「子供を持たない選択」は非常に合理的であると結論づけた。
こんにちは、rinnshannです。
最近、ニュースで「2025年の出生数が10年連続で過去最低を更新(705,809人)」という報道を目にしました。
社会全体としては、経済的な面での対策(出産一時金の増額や保育サービスの拡充など)が少しずつ増えてきたように感じます。しかし、それを「自分事」として、人生設計の天秤にかけてみたとき……。
(反論覚悟?でいうと、)私には子供を持つモチベーションが、1ミリもありません。
これは、社会への不満や、経済的な困窮から来るものではありません。むしろ、少しばかりの「資産」を持っているからこそ感じる、冷徹なリスクマネジメントの結果なのです。
今回は、私が子供を持たない選択をした、合理的かつ個人的な理由(金銭的リスクと社会的リスク)について、本音でお話しします。
1. 下手に資産を持っているからこそ大きい、「自分以外」がいる金銭的リスク

「子供はお金がかかる」というのは、誰もが知る事実です。しかし、私が感じるリスクは、単なる教育費や養育費だけではありません。
私が最も恐れているのは、「自分以外の存在」によって、私の資産形成と自由が脅かされることです。
子供を持つということは、自動的にパートナー、(場合により)パートナー側の親族、さらに子供という、複数の「自分以外の存在」を、私の金銭的責任の範囲内に招き入れることを意味します。
「下手に資産を持っている」ということは、万が一、離婚や親族間のトラブル、あるいは子供の将来に関する予期せぬ金銭的負担が発生した場合、そのリスクをすべて私が負うことになる、という大きな脆弱性を内包しています。
私の資産は、私自身の自由と、私の将来の安定のためにあります。それを、不確実性の高い「自分以外」の存在のために、金銭的リスクに晒すモチベーションは、私には湧いてきません。
2. 「すべて親の責任」という、社会的責任の重さとSNS拡散の Trap

もう一つの大きなリスクは、社会的・責任的な面です。
現代において、「子供の責任はすべて親の責任」という考え方は、かつてないほど強固になっています。
さらに、今はSNSで何かが即座に拡散される時代です。 私の記憶にあるだけでも、バイトテロ、寿司ペロ……。名前は思い出せませんが、その他にも数々の「子供(または若者)の愚行」が、一瞬にして親の責任として社会から糾弾され、家族全体の人生を破壊する様子を見てきました。
「自分の子供は大丈夫」そう信じたい気持ちはわかります。しかし、子供は成長するにつれ、親の目の届かない社会(学校やインターネット)へと出ていきます。そこで、万が一、子供が何らかの過ちを犯したとき……。
その責任を、親としてすべて背負い、SNSで拡散される恐怖に怯え、社会から抹殺されるリスクを冒してまで、子供を持つモチベーションは、私にはありません。
3. 社会との摩擦:自分の子供以外は「邪魔」?公園と電車のプレッシャー
さらに、具体的な社会との摩擦も、モチベーションを削ぐ要因です。
今の社会において、子供を持つということは、常に社会からのプレッシャー(迷惑)を感じる環境に身を置くことでもあります。(実際にそんなことはないと思われるのかもしれませんが…。)
話を聞いていると、自分の子供は良いけど「自分の子供以外の子供は邪魔」と感じるシーンは少なくないと感じています。
公園からは遊具が撤去され、「静かに」という看板が立つ。電車に乗れば、「子供の声が迷惑だ」という視線(または直接的なクレーム)を感じるといった内容です。
健康や快適さのためにオフィスをクリーンにしたのと同様に、今の社会は、大人の「快適さ」と「効率」を優先するあまり、子供という「不確実性」や「ノイズ」を排除する方向へ動いているように感じます。
そのような社会環境で、常に「迷惑をかけているのではないか」とビクビクしながら、子供を育てる。そのプレッシャーに耐えるモチベーションは、私にはありません。
まとめ:私の人生設計として、子供を持たない選択は合理的である
社会の少子化対策は、経済的な支援を増やそうとしています。しかし、私が感じる「子供を持つモチベーションの低下」は、金銭的な支援だけで解決するレベルではありません。
金銭的なリスク(パートナー・親族・子供)、社会的・責任的なリスク(親の全責任・SNS拡散)、そして社会との摩擦。
これらのリスクを冷徹に天秤にかけたとき、私の人生設計として、子供を持たない選択は、非常に合理的であると結論づけざるを得ません。(そもそもパートナーという壁もあります。)
社会が「子供を産んでほしい」と願うなら、単なる金銭的支援だけでなく、これらの「不確実性」や「責任」を、社会全体でどのように分散・許容していくのか。そこまで議論を深める必要があるのではないでしょうか。
少なくとも、私にはまだ、子供を持つモチベーションは見つかりそうにありません。
以上です、引き続きよろしくお願いいたします。


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