【卒論シーズン】22,222文字のこだわりと、150ページの格闘。AI時代の今、論文を書く「意味」を再考する

雑談
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<この記事の30秒要約>

卒論シーズンの2月。22,222文字のゾロ目にこだわった卒論や、150ページに及ぶ修論の格闘など、自身の学生時代の思い出を振り返ります。

AIが普及した2026年、執筆の労力は減ったかもしれませんが、「情報を整理し、意志を形にする」という論文の本質は変わりません。AIを使いこなす現代の学生へ向けた、エールと共感のメッセージです。

こんにちは、rinnshannです。

大学4年生の皆さんにとっては、いよいよ卒業論文(卒論)提出の追い込みをかけているところでしょうか。(このブログ記事を読む学生の方は少ないかもしれません…。)

SNSやネットで見かける「卒論の目安」は、だいたい50ページ・20,000文字。この数字を前に、気が遠くなっている学生さんも多いかもしれません。(もちろん論文の内容が最重要です!)

ふと思い返せば、私の学生時代もまさに「文字数とページ数」との格闘の連続でした。今だから笑って話せる、当時の少し偏った(?)こだわりの思い出を振り返ってみます。


卒論のこだわり:遊び心で刻んだ「22,222文字」

大学4年生の時、私は「せっかく書くなら目安を超えたい」という変な意地がありました。 ただ量を増やすだけではつまらない。そう思って調整に調整を重ねた結果、完成した卒論は「66ページ・22,222文字」

あえてゾロ目に揃えるという、締め切り直前の余裕があるのかないのか分からない遊び心。今思えば、そんな小さなこだわりが、孤独な執筆作業の支えになっていたのかもしれません。

修論の試練:実験データ150ページと、教授の苦笑い

その後進学した大学院での修士論文(修論)は、卒論とは比べものにならない密度でした。 膨大な実験データをひたすら解析し、まとめ上げる日々。自分の中に「卒論が66ページなら、修論はその倍は書かなければならない」という謎の枷を課していたこともあり、最終的な厚みは150ページ近くに達しました。

迎えた公聴会。副査の先生から開口一番、 「……いやあ、ページ数が多すぎて読むのに苦労したよ(笑)」 という講評(という名の苦情?)をいただいたのは、今でも忘れられない勲章のような思い出です。


2026年、AIと共に書くということ

翻って2026年現在。今の学生さんたちは、当時とは全く違う環境にいます。AIを使えば、要約も、構成案の作成も、そして下書きも、当時の私たちの半分以下の労力でこなせてしまうでしょう。

「苦労してこそ価値がある」 「自分の手で一から書く実感を味わってほしい」

そんな意見もあるかもしれません。でも、実はこの記事も、私が構成と概要を書き、AIと対話しながら仕上げています。やっていることは、今の学生さんたちと同じなのです(笑)。

大事なのは、AIに丸投げすることではありません。 「何を伝えたいのか」という自分の意志を軸に、ツールをどう使いこなして、一つの作品(論文)を完成させるか。

苦労の質が変わっただけで、膨大な情報を整理し、論理を組み立てるという本質的な力は、今も昔も変わらず求められているのだと感じます。


最後に:形にした経験は、一生の財産になる

ページ数や文字数は、あくまで結果に過ぎません。 しかし、一つのテーマについて数万文字を書き抜いたという経験は、社会人になってからの「資料作成能力」や「論理的思考」の土台に確実になります。

提出間近で今まさに追い込みをかけている学生の皆さん。 時には遊び心を持ちつつ、AIという強力なパートナーを使いこなしながら、納得のいく1ページを積み上げていってください。

その厚みは、そのまま皆さんの自信の厚みになるはずです。頑張ってください!応援しています。

以上です、引き続きよろしくお願いいたします。

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